スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

須磨の神社(10)多井畑・子守神社

JUGEMテーマ:地域/ローカル


【アクセス】JR須磨駅」からバス約15分「多井畑」下車、徒歩1分



多井畑厄神さんから徒歩1分ぐらいのところに子守神社があります。

赤ちゃんの夜泣きが治まる神社であると言われており、多井畑南町の開発に伴い、現在の場所に移動している。(多井畑歴史研究会「攝津八部郡多井畑の字」より)



「赤ちゃんの夜泣きがおさまる」と言われる子守神社は、実は全国に点在しているようです。ただ、この多井畑の子守神社のすごいところはこの小ささ。写真ではわかりにくいかもしれませんが、むちゃくちゃ小っちゃいんです。高さもフェンスよりもちょっと高いぐらい。そういう意味では珍しい神社です。




須磨の神社(9)元宮長田神社

JUGEMテーマ:地域/ローカル


【住所】神戸市須磨区天神町5−2
【アクセス】山陽電鉄須磨寺駅から徒歩3分



山陽須磨寺駅から離宮道に向かう途中にこの神社があります。

西須磨の名家、前田家の旧邸敷地内にポツンと建っています。
このあたりに昔、須磨警察署があったと聞きましたが、今は跡形もなく、この神社だけが不思議な存在感を放っています。



遠い昔、須磨長田神社の氏子地だった頃の名残りもあって、前田家と長田神社はかなり深い関係にあったと見られています。

大きな地図で見る


須磨の神社(8)山伏山神社

JUGEMテーマ:地域/ローカル




【住所】神戸市須磨区白川字堂の東498
【アクセス】神戸市営地下鉄名谷駅下車 「名谷駅前」バス停から市バス70系統「白川台」下車 東へ徒歩約15分

一の谷の戦いで、義経が鵯越を越えるために先導役を依頼した鷲尾三郎義久。その子孫といわれる白川鷲尾一族の氏神がこの山伏山神社なんだそうです。



祭神は猿田彦命(さるだひこのみこと) と天鈿女命 (あめのうずめのみこと)だが、その由緒は明らかでない。約200年ほど前、兵庫の佐比江の遊郭が繁盛していた頃、遊女が猿田彦命を深く信仰していたため、大勢でお参りにきたようである。


また、イボやタコを治す神社としても知られていたそうで、子供たちが「蛸の絵馬」をよく奉納していたそうです。今でも多くの「蛸の絵馬」が見られます。



白川大歳神社から北へちょっと行ったところに左へ入る小道があります。
大きな地図で見る

須磨の神社(7)白川大歳神社

JUGEMテーマ:地域/ローカル


【住所】神戸市須磨区白川字宮の西373
【アクセス】神戸市営地下鉄「名谷」から市営バス14/70系統で「白川台」下車、徒歩10分
【電話】078-741-1838



須磨区内には白川と車に「大歳神社(おおとしじんじゃ)」があるのですが、そもそもこの「大歳神社」って何なん?というのを調べてみました。

大歳神社とは大歳神(おおとしのかみ)を祀った神社のこと。大歳神とは「年」を司る神であり、転じて穀物、特に稲(田んぼ)の神とされる。



中部より西にたくさんあるらしいですね。次にこの白川の大歳神社についてです。

一条天皇長徳元年(995年)、この山村に疫病が流行したので、須佐之男命(すさのおのみこと)を相殿に勧請し、疫病退散を祈願した、と言われる。
1877年明治10年)に火災があり、三六歌仙扁額なども焼失した。

かつては、毎年陰暦二月卯の日に御弓式、正月十六日には南隣の車と同様に「御面溝(おめんこう)」と呼ばれる翁舞いがあったが、現在は行われていない。



●ご利益…厄除・国家安穏・家内安全・五穀豊穣
●祭神…大歳大明神・天手力雄命・天津彦火瓊々杵尊
●祭礼…7月16日 夏祭
    9月21日 例祭

地図の中の矢印の上あたりに大歳神社があります。
大きな地図で見る

須磨の神社(6)関守稲荷神社




【住所】神戸市須磨区関守町1-3
【アクセス】JR須磨駅から徒歩8分・山陽電鉄須磨駅から徒歩6分
      山陽電鉄須磨寺駅から徒歩15分
【電話】078-735-8735

古代の須磨は、畿内と西国を結ぶ水陸交通の要衝で、大宝律令に定められている摂津の関(須磨の関)が設けられた地でもあった。この摂津の関は、天下の三関と言われる伊勢の鈴鹿の関、美濃の不破の関、越前の愛発(あらち)の関に次ぐ重要な関であったが、天下の三関が廃止された789年(延暦8年)前後に廃止された。

関守稲荷神社は、村上帝社を北に上った閑静な住宅街の中にひっそりと佇んでいる。須磨の関の守護神として祀られたと伝えられ、境内には「長田宮」「川東左右関屋跡」と書かれた大きな石柱がある。しかしこれは明治時代初期に近くの現光寺の裏から掘り出されたのが移されたもので、須磨の関が実際はどこにあったのかは、未だはっきりとしない(現光寺関守稲荷神社多井畑厄神のいずれかの近くにあったという三説がある)。



また、ここには百人一首で知られる源兼昌の歌碑がある。

淡路島 通う千鳥の鳴く声に 
            幾夜寝ざめぬ 須磨の関守


今でこそ有名で評価の高いこの歌ですが、実は作者の源兼昌さんは一流と呼べる歌人ではなく、生没年も未だ不明で官位にも恵まれなかった地味なお方なんだとか。そんなこともあってか、ちょっと前まではこの歌が百人一首に選ばれたことに疑問を持つ人も数多くいたそうです。現在では、「源氏物語」の須磨の巻を思わせる風情があるということで、藤原定家さんから高い評価が得られたのであろう、という見方が一般的らしいです。ちなみにこの関守稲荷神社は「源氏物語」で光源氏須磨に流されたとき、巳(み)の日祓(ひはらい)をしたところをここになぞらえ、巳の日祓稲荷とも呼ばれているそうです。

須磨の神社(5)證誠神社(しょうせいじんじゃ)



【住所】神戸市須磨区権現町1−3−2
【アクセス】山陽電鉄市営地下鉄板宿駅から徒歩5分
【電話】078−731−2743

この證誠神社は「大手の権現さん」とも呼ばれ、987年(永延元年)に紀州熊野の権現さんを勧請して妙法寺川沿岸の大手・東須磨・野田・駒ケ林の五ケ村の氏神として創祀された。1182年(寿永元年)に須磨の地にご遷都されるにあたり、大手の守護神として平家一門の崇敬篤く、徳川の代に「須磨聖霊大権現」と称せられた。明治初年に證誠神社と改め、明治六年村社、同十四年郷社(須磨区内唯一の神社)に加列、大正五年神饌幣帛供進神社に指定せられ須磨地域一円の守護神として、その御神徳を崇敬せられ現在に至る。現在境内に宝永五年聖霊大権現奉献と刻された石灯篭が安置されている。

御祭神は五十猛命(いそたけるのみこと)で、樹木の神として風水被害を植林及植樹により守護し、農工商業を繁栄せしめたる大神として尊崇され、古事記神代巻上では大国主命を助けたことにより、いのちの神として大難厄除、大病へ平癒祈願の信仰を集めている。

この神社の祭日には必ず少し雨が降るために「しょぼしょぼ権現降る長田生田は降らぬことなし」と、昔から言い伝えられている。

●ご利益…大難厄除け、大病平癒、家内安全
●お守り…各種神札、お守り
●祭神…五十猛命
●祭礼…5月19・20日 春祭
    9月23・24日 秋祭
    9月26・27日 例大祭




大きな地図で見る



須磨の神社(4)北向八幡神社


【住所】神戸市須磨区妙法寺字宮ノ下
【アクセス】山陽電鉄板宿駅から市バス「那須神社前」下車徒歩1分
【電話】078−741−2334

御本殿が北向きに建立されており、通称「北向きさん」と呼ばれる。御祭神は応仁天皇といわれているが、実はその内陣には「大国主命」が祀られており、出雲に対しその敬意から北向きに建立されたとも伝えられている。

源平合戦の時、扇の的を射落としたとされる、弓の名手の那須与一宗隆がこの神社を守護神として戦場にのぞみ、武運を全うしたとされる。戦乱の後、与一は御礼参りに当社を訪れるが、たまたま病にかかり、この地で死去したという伝説がある。

毎年1月7日に新年祭、1月18・19日に厄除祭、8月1日に豊作祈願祭を斎行している。


那須与一さんに関しては、後日「那須与一の墓」で改めてふれることにしましょう。
ちなみにここの境内にはイボとり薬師があるそうです。いぼとり神様・仏様の全国リスト(2)と併せてご覧下さい。

●祭神…応仁天皇
●祭礼…1月18・19日 厄除祭
     10月第2日曜 例大祭

須磨の神社(3)板宿八幡神社


【住所】神戸市須磨区板宿町3−15−25
【アクセス】山陽電鉄板宿駅から徒歩15分(須磨学園高校西隣)
【電話】078−731−3161

菅原道真公が九州に左遷されたときの宿泊の跡を保存するため、987年(永延元年)に武神八幡大神と菅公を鎮守神として祀り、明治40年に鳴滝明神をも合祀した。

境内には道真を慕って京都から飛んできたと言われる大きな松「飛び松」の切り株が残っていて、この松にちなんで、当社から西に続く丘陵を「飛び松が岡」あるいは「松岡」と呼んだ。

現在は厄除の神・板宿の厄神さん、学問の神・飛松天神さん、産業の神・池ノ宮明神さんとして広く崇敬されている。

ちなみに菅公がこの地に立ち寄ったとき、村人が板で囲って簡単な宿泊所を設けたことから「いたやど」という地名になったという説もあるようです。これが本当なら面白いですね。

●祭神…譽田別尊・菅原道真公・大日孁貴命
●祭礼…1月18日〜20日 厄除大祭
     5月3日 例大祭・神幸式
     8月7日 夏祭
     9月15日 秋祭り



大きな地図で見る

須磨の神社(2)綱敷天満宮



綱敷天満宮

【所在地】神戸市須磨区天神町2-1-11
【アクセス】山陽電鉄須磨寺駅より国道2号線方面へ徒歩4分
       JR須磨駅より国道2号線方面を長田方面へ徒歩15分
【お問い合わせ】078−734−0640

天満宮とは本来は文字どおり「天の神霊」を指し、多くの場合は雷と結びつき、さらに雨や水などとも関連しているらしいです。ただし現在一般的に「天満宮」というと、政治的不遇を被った菅原道真(845−903)の怒りを静めるため神格化し祀っている神社を指します。



さて、まずは道真公についておさらいしてみます。

幼少のころから詩歌に才を見せていた道真は宇多天皇(867−931)の信任を受け、要職を歴任していた。当時皇室の外戚として権勢を振るいつつあった藤原氏に対し宇多天皇は道真を用いて藤原氏を牽制していた。897年(寛平9年)、宇多天皇は醍醐天皇(885−930)に譲位したが引き続き道真を重用するよう醍醐天皇に強く求めた。その後、醍醐天皇の治世でも道真は昇進を続けたが、道真への権力の集中を嫌う藤原氏などの有力貴族の反発が表面化するようになった。

そして901年(延喜元年)、右大臣の菅原道真(すがはらのみちざね)が左大臣藤原時平(871−909)の讒言(ざんげん)によって太宰府に左遷され、道真の長男高視(たかみ・876−913)ら子供4人も流罪に処された(昌泰の変)。道真は903年(延喜3年)、大宰府で没し、同地に葬られた。

そして何故道真公が神として祀られることになったかと言うと・・・・

その後讒言の張本人である藤原時平の病死や干ばつ、水害、さらに宮殿への落雷などの凶事が続き、人々は道真の怨霊を雷神と結び付けて恐れた。怨霊を鎮めるため、923年(延長元年)には道真の罪を取り消し、993年(正暦四年)には正一位太政大臣が贈られた。

菅原道真への崇敬は民間にも広がり、天の神・雷公を祀っていた北野の地で道真の霊も祀られるようになった。また道真最期の地である太宰府でも、天神と道真を合わせ祀ることにした。その後、道真の神霊が「天満大自在天神」「天満天神」などと呼ばれるようになり、「天満宮」の名が一般化した。これが北野天満宮太宰府天満宮の起源である。

信仰の対象となって菅原道真の怨霊が鎮まってからは、道真の学芸に秀でていた面に注目が集まるようになった。しかし元来の雷神としての性格も残り、農業神としての信仰も続いた。学芸と無縁な水田地帯の集落に天満宮が鎮守として祭られているのはそのためである。
全国の天満宮・天神社・菅原神社は,すべて北野もしくは太宰府の天満宮を勧請(かんじょう)したものである。

ちなみに天満宮においては「牛」が祭神の使者とされている。これは「道真公の出生年が承和12年(845)乙丑(きのとうし)の年である」「道真公の遺骨が牛によって運ばれ、墓所(太宰府天満宮)が定められた」などの様々な言い伝えによる。また、天満宮にある神牛の体と、自分の体をお互いに擦ると健康になると言われ、更には神牛の頭部を同じように擦れば、知恵が付くという信仰がある。



さて、前置きが非常に長くなってしまいましたが、いよいよ須磨にある綱敷天満宮についてです。

須磨の綱敷天神は、道真公の旧臣、武部家伝来の『天満宮御所在地記』にも「日本二十五社の一、摂津国須磨綱敷天神」と明記されているらしいです。

菅原道真が九州に左遷された際、風波をさけて須磨へ一時上陸され、土地の漁師達は美しい松の樹の下に漁網の大網を巻き、円座を作り、その上に休息させた。後に彼が天満天神として祭られるようになったとき、そのことにちなんでここに彼を祭神とする天神社が979年(天元2年)に創建されたと伝えられている。

実は全国に天満宮は1万2千以上あると言われています。一つの都道府県あたりにおよそ255あることになるわけです。私個人的にはちょっとにわかに信じられる数字ではありませんが、本当だったらすごいですね。
1月15日に初天神、2月25日に梅花祭、7月25日の例祭がありますから、そういうイベントの時に合わせて行ってみてもいいですし、その時期を外して静かな神社の中で道真公を偲んでみるのもいいかと思います。ついでに「願いを込めて腰掛けるとどんな願いでも叶う」という茄子もぜひお試しあれ。

●祭神…菅原道真公
●祭礼…1月24・25日 初天神祭
    2月24・25日 梅花祭
    4月25日 学業講祭
    7月7日 七夕祭
    7月24・25日 天神祭
    11月25日 新嘗祭(にいなめさい)



大きな地図で見る

須磨の神社(1) 多井畑厄除八幡神社


【住所】神戸市須磨区多井畑字宮脇1
【アクセス】JR神戸線須磨駅」からバス約15分「多井畑」下車
【お問い合わせ】078-741-0827

多井畑の厄神さん”の愛称で親しまれる多井畑厄神八幡神社は、日本最古の厄除けの霊地と伝えられている神戸の厄神さんです。

光仁天皇(709−781)の770年(神護景雲4年)6月に疫病が大流行し、それをを鎮めるために五畿内(大和山城河内摂津和泉)の国境10ヶ所に疫神を祀り、疫祓いが行われた多井畑厄神八幡宮は古山陽道の摂津と播磨国の国境に位置していたため、その一つとして疫神が祀られたと伝えられている。
そしてこの地に安元元年(1175年頃)、男山八幡宮を勧請して社殿を作ったのを神社の創立としている。
古代には海の「境の神」である海神社に対して、陸の「境の神」としての性格があったと考えられている。

この神社には、須磨に配流されたと言われる在原行平(818−893)や、一の谷合戦の際に立ち寄った源義経(1159−1189)が祈願したという。また、豊臣秀吉(1537−1598)から朱印状徳川2代将軍秀忠(1579−1632)から黒印状を寄せられ、明石藩主松平氏は毎年正月の例祭には参拝、代拝を行った。

毎年1月18日から20日の3日間に渡って厄神祭が行われ、厄年のお祓いや疫病退散、病気平癒の祈願と厄除けに多くの参拝者が訪れる。

行平さんや義経さんまでここで祈願したといういわれがあるんですね。すごいですよね。ちなみに朱印状は幕府により朱の印章が押された公文書のことで、黒印状とは大名により黒の印章が押された公文書のことを言います。(ウィキペディアによれば、戦国時代以降、神社・寺院などは幕府や大名から所領地として安堵(領有権の承認・確認)されるようになり、そのような土地を朱印地、黒印地と呼んだそうな。これに関しては神社諸々研究にも出ています。)

●祭神 応神天皇
●祭礼 1月16日 神饌餅(しんせんもち)搗神事
    1月18〜20日 厄除大祭
    4月19日 例祭
    7月18日 夏越祭り(なごしのまつり)
    8月13日(旧暦)みあかし奉献神事
    11月23日 新嘗祭



大きな地図で見る

プロフィール

  • 須貝静顔写真
  • 須貝静
  • NPO法人しゃらく しゃらく旅倶楽部担当
  • 須磨をこよなく愛するよそ者が、真の須磨人(すまびと)を目指して日々綴っていく須磨のウンチク。須磨好きの方必見です。
  • プロフィールをもっと詳しく

新着日記

カレンダー

<< June 2017 >>
SunMonTueWedThuFriSat
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 

サイト内検索

月別アーカイブ

カテゴリー

新着コメント

新着トラックバック

organization

  • NPO法人しゃらく
  • いきがい.cc
  • 須磨観光協会
  • 須磨を西海岸化し隊
  • 観光ナビゲーションサイト 須磨海岸Navi
  • いたやにすと
  • オール須磨

link

mobile

  • qrcode

others

ad