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須磨の史跡・文化遺産(11)モルガン灯籠

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さて、モルガンお雪さんのことを調べてみましたので簡単に。

モルガンお雪(本名:加藤ユキ)さんは、1881(明治22)年生まれ。14歳のとき、「雪香」として京都・祇園の芸妓になりました。

21歳のときに、モルガン家の御曹司、ジョージ・デニソン・モルガンから、突如プロポーズを受けます。しかし当時京大生の彼氏がいたお雪さんは、これを強く拒絶。なんでもこのとき、お雪さんはこの恋人との結婚を夢見て、彼の学費や生活費まで払っていたそうです。

ところが大学を卒業すると同時に金銭的援助が要らなくなったその恋人は、他の金持ち令嬢と結婚することに。お雪さんもとうとうモルガンからの執拗なラブコールにこたえて結婚することになりました。

実はこの時、身請け金として当時のお金で4万円(現在の金額に換算すると1〜2億円でしょうか)もの大金が支払われたそうなのですが、実はお雪さんは断るためにその大金をつきつけたのが、モルガンがあっさり払ってしまい、結婚するはめになったんだとか。

まあまあとにかく、その金額を払った上に、およそ10万円もかけて横浜で超ド派手な結婚式をやってしまったものだから世間は大騒ぎ。「4万円の夢」などともてはやされる一方、金に目がくらんだ女としてレッテルを貼られ、羨望・嫉妬だけでなく誹謗・中傷にもさらされることに。

その後、モルガンと一緒にアメリカに渡ったお雪さん。当時のアメリカは人種差別が激しかったこともあって、半年後にはフランスへ渡りました。パリの社交界では大変な評判を呼びながらも、まもなく第一次世界大戦に突入、夫は莫大な財産を残し、1915(大正4)年に他界してしまいました。

偶然にも巨万の富を得て、突如世間の冷たい目にさらされることになったお雪さん。守ってくれる人は誰もおらず、つらい孤独な日々を送ります。そのためか、終戦後はカトリック信仰に目覚め、教会に多額の寄付を行なったそうです。

ニースに移り住んでからしばらくして第2次世界大戦が勃発し、1938(昭和13)年に58歳で日本へ帰国。質素な生活を続け、1963(昭和38)年、京都の紫野の近くの自宅で息を引き取ったそうです。

…とまあ、数奇としかいいようのない人生を送られたお雪さんですが、今でも祇園では、お雪さんが結婚した1月20日を「玉の輿の日」として、大事な人と連絡をとりあうなど、特別な日として盛り上がるんだそうです。




須磨の史跡・文化遺産(11)モルガン灯籠



安徳帝内裏跡伝説地の前にある一対の石灯籠。モルガンお雪さんが献納されたことから「モルガン灯籠」と呼ばれています。

モルガンお雪さんは、1904(明治37)年にアメリカの大富豪の御曹司、ジョージ・デニソン・モルガンと結婚し、元祖「玉の輿」として全国にその名を知られた方です。ただ、お雪さんが実は以前須磨に住んでいたことがある、ということを知る人は、意外に少ないようです。

お雪さんが須磨の一の谷に住んでいたのは1910(明治43)年12月から翌年の秋頃まで。ただ、当時のお宅はフランスにあったはずですから、住んだというより里帰りしていたと考えていいでしょう。

当時の西須磨地域には、山から見える美しい須磨の海に心を惹かれ、邸を建てて住み始める外国人がたくさんいたようです。特にお雪さんがいた一の谷二丁目一帯は「異人山」と呼ばれるほどでした。

フランスから里帰りしたお雪さんは、一の谷から須磨の海を眺めて、毎日何を思ったのでしょうか。

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須磨の史跡・文化遺産(10)安徳帝内裏跡伝説地



【アクセス】山陽電鉄須磨浦公園駅から北東へ徒歩20分(一の谷公園内)

まずは安徳帝とはどんな方だったのかを簡単に。

安徳帝は、高倉天皇と、平清盛の娘、徳子の間に生まれた悲劇の幼帝。1178年に生まれ、1180年治承4年)にわずか2歳にして即位した。
同年に福原遷都するが、まもなく京都へ還都した。

1183年寿永2年)源義仲の入京に伴い、平家一門と共に都落ちする。1185年寿永4年)壇ノ浦の戦いで平氏軍が敗北し、一門は滅亡に至った。安徳帝はその際、祖母二位尼に抱かれて入水、わずか8年の生涯を終えた。


まあこのあたりはほとんどの方が学校で習っているのでご存知かと思います。

ただこの安徳帝、歴史のお好きな方の間では生存説(遺骸が確認されなかったため)や、女子説(平家物語に実は女子ではないかと思わせるような記述があるため)があったりして、いろいろと議論されているようです。


さて、この須磨にある内裏跡地なのですが、実は平家が西へ下る途中、一の谷に都が置かれたという伝説があり、その跡地に安徳天皇の冥福を祈って安徳宮が祀られているということです。



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須磨の史跡・文化遺産(9)鏡の井

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【アクセス】

JR山陽電鉄須磨駅下車 「須磨駅前」バス停から市バス71・72系統「多井畑厄神」下車 西へ徒歩約3分

市営地下鉄妙法寺駅下車 「妙法寺駅前」バス停から市バス88系統「多井畑厄神」下車 西へ徒歩約3分

市営地下鉄名谷駅下車 「名谷駅前」バス停から市バス74系統「多井畑厄神」下車 西へ徒歩約3分

前回に引き続き、松風さんと村雨さんです。
今回は「鏡の井」。腰掛の松ややくじんさんから歩いてすぐのところです。



石碑に由来が書いてあります。



仁和三年(八八六年)光孝天皇のいかりにふれて須磨の地に配流された在原行平は多井畑の村長の娘「もしほ」「こふじ」の姉妹が浜辺に汐汲みに来たのにあい「松風」「村雨」の名を与えて寵愛した。

この鏡の井は二人が姿を写した姿見の井といわれている。

須磨の史跡・文化遺産(8)松風村雨の墓

【アクセス】
JR山陽電鉄須磨駅下車、「須磨駅前」バス停から市バス71・72系統「多井畑厄神」下車 西へ徒歩約4分
地下鉄妙法寺駅下車「妙法寺駅前」バス停から市バス88系統「多井畑厄神」下車 西へ徒歩約4分
地下鉄名谷駅下車「名谷駅前」バス停から市バス74系統「多井畑厄神」下車 西へ徒歩約4分

先日、須磨人にとっては衝撃的な、こんなニュースがありました。

広辞苑岩波書店)の「芦屋」(兵庫県芦屋市)の項目に、誤まった記述があることがわかった。

 「(平安時代歌人である)在原行平(ありわらのゆきひら)と松風・村雨の伝説などの舞台」と記しているが、正しくは須磨(神戸市須磨区)。岩波書店によると、1955年の初版から今月11日に発売された第6版まで同様の説明をしており、修正を検討している。

 行平に愛された姉妹を題材にした松風」の舞台は須磨で、芦屋にゆかりのある行平の弟、業平(なりひら)と混同した可能性があるという。同書店は「改訂のたびに確認しているが、チェックできていなかった」としている。(2008年1月21日読売新聞より)

在原行平と愛人二人の伝説の舞台が芦屋である」という誤った記述が、あの広辞苑に半世紀もの間載せられていたというのですからビックリです。多くの須磨人は「なんでやねん!」と大声でつっこんだことでしょう。まあ芦屋のみなさんにしてもまさに青天の霹靂といいますか、「へ?そんなん載ってたん?」というような話でしょうし、私としてもすぐに修正してもらえたらそれでいいのですが。というか私が一番気になるのはその記述を見つけた人。よく見つけてくれましたよね〜。



さて、「松風村雨の墓」ですが、「やくじんさん」の近くにあります。以前、「松風村雨堂」でも、「もしほ」と「こふじ」の二人が多井畑の村長の娘だったと言われていることは書きましたが、その二人のお墓として言い伝えられているのがここです。



五輪塔2基の、左が姉の「もしほ」、右は妹の「こふじ」のものとされています。「村上帝社」「松風村雨堂」と並んで、の愛好家たちの人気スポットとなっているようです。
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須磨の史跡・文化遺産(7)弘法の井戸

【アクセス】市営地下鉄妙法寺駅から徒歩15分
      市バス「奥妙法寺」下車、西へ徒歩10分

妙法寺にある弘法の井戸。ずっと見たい、見たいと思っていたのですが、やっとお目にかかれました。

さてさて妙法寺の「弘法の井戸」なのですが、広さはだいだい縦3メートル×横1メートル。見た目は透明でおいしそうに見えますが…。「水を飲れる方は沸かして飲んでください」との注意書きがありますね。ここは素直に言うことを聞きましょう。



説明板に弘法大師の言い伝えが書いてあります。
昔水不足で困っていた妙法寺村に弘法大師がやってきた。村人が水がなくて困っていることを聞いた弘法大師が持っていた杖で地面をトントンと叩くと、きれいな水がコンコンと湧き出てきた。簡単にいうとこのようなものです。こういう伝説が古くから言い伝えられてきたことからも、いかに地元の人々に大切にされてきたのかがわかるような気がします。

ところでこの「弘法の井戸」という名前の井戸は、実は全国に何箇所もあるらしい、というのを耳にしたので、ちょっとだけ調べてみました。

兵庫県加古川市西神吉町
群馬県桐生市梅田町
三重県度会郡度会町
京都府綴喜郡宇治田原町
千葉県匝瑳市
群馬県甘楽郡甘楽町秋畑那須
群馬県藤岡市下日野
新潟県上越市
山梨県北杜市高根町
長野県北安曇郡小谷村
長野県大町市伊谷里
愛媛県西条市

と、全国至る所に弘法大師の伝説と井戸が残されているみたいですね。
まだまだあるようですが、きりがないのでこのへんで。
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須磨の史跡・文化遺産(6) 赤灯台(旧和田岬灯台)



【住所】神戸市須磨区>須磨浦通1丁目1 
【アクセス】 山陽電鉄須磨寺駅  徒歩10分
     山陽電鉄月見山駅  徒歩10分
     JR山陽電鉄須磨駅 徒歩12分

須磨海岸のシンボルとして周辺の人々に親しまれている「須磨の赤灯台」。これが明治初期に建てられた本州最古の鋳鉄製灯台だということ、そして以前は「和田岬の赤灯台」だったことを知ったのは、恥ずかしながらつい最近のことです。それではまずはこの灯台の設計者である、R・H・ブラントン氏の話から入りましょう。


 1858安政5)年、江戸幕府アメリカとの間に日米修好通商条約を締結し、既に開港済みの下田箱館に加え、新たに神奈川長崎新潟兵庫の四港を開港することになった。その後も開国が推し進められ、1866慶応2)年5月にはアメリカイギリスフランスオランダの4ヶ国と江戸条約を、1867慶応3)年4月にはイギリスと大坂条約をそれぞれ結び、灯台の整備をすることが定められた。しかし当時の日本には灯台建設のための土木技術がなかったため、明治政府はイギリス公使パークスを通して、一人のスコットランド出身の鉄道技師を雇い、その指導にあたらせた。この技術者は名前をリチャード・ヘンリー・ブラントン(1841−1901)といった。

ブラントンは日本に滞在した約8年の間に、26の灯台、5箇所の灯竿、2艘の灯船を建設するなどして、日本の灯台システムを確立した。また、灯台技術者を育成するための「修技校」も設け、その灯台技術と職場規律は日本に受け継がれた。その他、日本最初の電信工事(1869年横浜)や鉄橋建設(横浜伊勢佐木町の吉田橋)、港湾改修工事計画策定(大阪港・新潟港)、横浜外人墓地の下水道工事の設計などにおいても数多くの功績を残し、1876(明治9)年にイギリスへ帰国した。

ブラントンは帰国後、『日本の灯台(Japan Lights)』という論文を英国土木学会で発表し、晩年には『ある国家の目覚め・日本の国際社会加入についての叙述とその国民性についての個人的体験記』という原稿を書き、1901明治34)年に59歳でこの世を去った。
数多くの灯台の設計や建築にたずさわったことから「日本の灯台の父」と呼ばれている。

※ブライトンが設計した日本の主な灯台

樫野埼灯台(かしのざきとうだい・和歌山県)
潮岬灯台(しおのみさきとうだい・和歌山県)
神子元島灯台(みこもとしまとうだい・静岡県)
剱埼灯台(つるぎさきとうだい・神奈川県)
伊王島灯台(いおうしまとうだい・長崎県)
佐多岬灯台(さたみさきとうだい・鹿児島県)
江埼灯台(えさきとうだい・兵庫県)
六連島灯台(むつれしまとうだい・山口県)
石廊埼灯台(いろうざきとうだい・静岡県)
部埼灯台(へさきとうだい・福岡県)
友ケ島灯台(ともがしまとうだい・和歌山県)
●和田岬灯台(わだみさきとうだい・兵庫県)
●天保山灯台(てんぽうざんとうだい・大阪府)
鍋島灯台(なべしまとうだい・香川県)
安乗埼灯台(あのりさきとうだい・三重県)
釣島灯台(つるしまとうだい・愛媛県)
菅島灯台(すがしまとうだい・三重県)
白州灯台(しらすとうだい・福岡県)
御前埼灯台(おまえざきとうだい・静岡県)
犬吠埼灯台(いぬぼうさきとうだい・千葉県)
●羽田灯台(はねだとうだい・東京都)
烏帽子島灯台(えぼしとうとうだい・福岡県)
金華山灯台(きんかさんとうだい・宮城県)
角島灯台(つのしまとうだい・山口県)
尻屋埼灯台(しりやざきとうだい・青森県)



とまあこんなすごい方が設計したのが今残っている「須磨の赤灯台」なんだそうです。ただ、この鋳鉄製の灯台になる前には実は木製だったらしいんですね。そのあたりも含めて次は「須磨の赤灯台」についてです。


 和田岬灯台1871明治4)年に木造の灯台として和田岬砲台の横に立てられ、1872明治5)年に初点灯された。当初は八角型だったが、1884明治17)年の改築によって現在の六角の鋳鉄製灯台に変わった。その後、和田岬は埋め立てが進み、1964昭和38)年には廃灯となったが、明治時代の洋式灯台建設の歴史を示す貴重な資料だということで、現在の場所に移され、保存されることになった。1998平成10)年には国の登録有形文化財となった。


 高さ約16mのこの貴重な灯台の内部は現在非公開となっていて、一般市民が目にすることはできません。でも、いつか中に入ってじっくり見られる機会があったらいいなあと密かに願っています。ホントに。


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須磨の史跡・文化遺産(5)須磨霊泉


【アクセス】JR須磨駅から徒歩10分
      山陽電鉄須磨寺駅から徒歩5分

山陽電鉄須磨寺駅を降りて商店街をまっすぐ、最初の交差点のすぐ脇に見えるのがこの須磨霊泉。
まろやかな味との評判で、遠方からもたくさんのペットボトルを抱えてこの水を汲みにやってきます。

この水は須磨寺町にある堂谷池周辺から湧いていると言われており、またそばに建つ石碑には1924年大正13年)にこの霊泉が建立されたとありますが、どれも未だにはっきりわかっていないそうです。
とにかく近くに住む住民たちには飲料水、野菜洗い、洗濯などで、昔から親しまれてきました。

1938昭和13)年の阪神大水害1995平成7)年の阪神・淡路大震災の時には貴重な水源となり、水道は断水したのにこの「須磨霊泉」は尽きることなく、水を求める長い行列も後を絶たなかったそうです。

現在、この水は生で飲むことに適しておらず、必ず煮沸してから飲むようにと注意書きがあります。
でも地元の人の中にはそのまま飲んでいる人もいるんだとか。私も試しに飲んでみましたが、
無味無臭で評判どおりのまろやかな味がしました。

謎多き神秘の泉、須磨霊泉。
須磨寺へお参りに来られるついでにぜひ立ち寄ってみてください。



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須磨の史跡・文化遺産(4)平重衡とらわれの跡




【アクセス】山陽電鉄須磨寺駅を降りてすぐ
      JR須磨駅から徒歩10分

昔、ここに腰掛の松と言われる大きな松があったので、「平重衡とらわれの松跡」とも呼ばれているんだそうです。

ではまず平重衡についてです。

1156年に清盛の五男として生まれた重衡は、どの書物にも好人物として描かれ、容姿端麗、歌や琵琶も上手で、ユーモアのセンスもあったため、女性にも人気があったと言われています。「平家物語」の中でも最も人気のある登場人物の一人なんだそうです。

1180年5月、宇治の橋合戦では副将軍として以仁王源頼政を討ち、12月には反平氏勢力の拠点である興福寺東大寺南都攻撃の総大将となり、大仏殿を焼亡させた(南都焼き討ち)。その後、1181年3月、墨俣川の戦でも源行家を破り、1183年10月の水島合戦、11月の室山合戦でも源氏側を撃破した。

ここまで連戦連勝の重衡さんでしたが、初めてと思われる大敗をこの須磨で喫します。
ここで登場するのがこの地です。

1184年2月7日、一の谷の合戦で、東門生田の森を守った副大将・重衡は戦いに敗れ、傷ついた身を湊川〜苅藻川〜蓮池〜須磨へと逃れてきた。そこへ源範頼の家来、庄三郎家長によって馬を矢で射られ、生け捕られてしまった。松の根に腰を下ろして捕われ、無念の涙を流す重衡を見て、村人が濁酒一杯を薦めたところ、非常に喜んで、

「ささほろや波ここもとを打ちすぎて須磨でのむこそ濁酒なれ」

と詠んだという。

その後、鎌倉に送られてからは源頼朝の厚遇を受けていた重衡さんは、大仏焼き討ちを恨む南都勢力による再三の引渡し要求によって、1185年に南都に連行された。そして同じ年の6月23日、木津川畔で斬首された。

重衡さんが処刑された京都・木津川の河畔には安福寺という寺があり、そこに供養塔も建てられているそうです。合わせて訪ねてみたい場所です。






須磨の史跡・文化遺産(3)村上帝社



【所在地】 兵庫県神戸市須磨区須磨浦通4
【アクセス】山陽電鉄須磨駅下車徒歩3分
      JR須磨駅下車徒歩5分



村上天皇在位時代(946〜67年)は、藤原北家による摂関政治が一時頓挫し、醍醐天皇在位時代(897〜930年)と合わせて「延暦・天暦の治」と称される天皇親政の治世であった。その村上天皇が祀られているこの小社は、の「絃上」(けんじょう)、「玄象」(げんじょう)ゆかりの地でもある。

平安時代の末、太政大臣藤原師長は琵琶の名人であったが、唐に渡って一層奥義を極めたいと願い、都を出て須磨にやってきた。しかしその夜、村上天皇梨壺女御(なしつぼにょご)の霊が夢に現われ、琵琶ひきの妙手を師長に伝えたので、師長は入唐を思いとどまり、「獅子丸」という琵琶を埋めて都に帰った。

この伝説から、土地の人々が村上帝社を祀ったと言われている。

その後、琵琶を埋めた「琵琶塚」は山陽電鉄の線路で二分され、現在は線路の北に小高い土地の一部が残っている。

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  • NPO法人しゃらく しゃらく旅倶楽部担当
  • 須磨をこよなく愛するよそ者が、真の須磨人(すまびと)を目指して日々綴っていく須磨のウンチク。須磨好きの方必見です。
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