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須磨の史跡・文化遺産(4)平重衡とらわれの跡




【アクセス】山陽電鉄須磨寺駅を降りてすぐ
      JR須磨駅から徒歩10分

昔、ここに腰掛の松と言われる大きな松があったので、「平重衡とらわれの松跡」とも呼ばれているんだそうです。

ではまず平重衡についてです。

1156年に清盛の五男として生まれた重衡は、どの書物にも好人物として描かれ、容姿端麗、歌や琵琶も上手で、ユーモアのセンスもあったため、女性にも人気があったと言われています。「平家物語」の中でも最も人気のある登場人物の一人なんだそうです。

1180年5月、宇治の橋合戦では副将軍として以仁王源頼政を討ち、12月には反平氏勢力の拠点である興福寺東大寺南都攻撃の総大将となり、大仏殿を焼亡させた(南都焼き討ち)。その後、1181年3月、墨俣川の戦でも源行家を破り、1183年10月の水島合戦、11月の室山合戦でも源氏側を撃破した。

ここまで連戦連勝の重衡さんでしたが、初めてと思われる大敗をこの須磨で喫します。
ここで登場するのがこの地です。

1184年2月7日、一の谷の合戦で、東門生田の森を守った副大将・重衡は戦いに敗れ、傷ついた身を湊川〜苅藻川〜蓮池〜須磨へと逃れてきた。そこへ源範頼の家来、庄三郎家長によって馬を矢で射られ、生け捕られてしまった。松の根に腰を下ろして捕われ、無念の涙を流す重衡を見て、村人が濁酒一杯を薦めたところ、非常に喜んで、

「ささほろや波ここもとを打ちすぎて須磨でのむこそ濁酒なれ」

と詠んだという。

その後、鎌倉に送られてからは源頼朝の厚遇を受けていた重衡さんは、大仏焼き討ちを恨む南都勢力による再三の引渡し要求によって、1185年に南都に連行された。そして同じ年の6月23日、木津川畔で斬首された。

重衡さんが処刑された京都・木津川の河畔には安福寺という寺があり、そこに供養塔も建てられているそうです。合わせて訪ねてみたい場所です。






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コメント

akadaさん、コメントありがとうございます!!

さすがはakadaさん、よくお気づきになりましたね。ほとんどの方は気が付かずに通り過ぎるようですよ。

「源平盛衰記」は読んだことがありません…。まだまだ勉強しなくちゃいけないことがたくさんあるみたいで。よろしければこれからもいろいろと教えてくださいね。
4/1、お花見に行った時、山陽電鉄須磨駅を下りたところに「碑」がありました。
確か、重衡の碑だったように思いましたが、それですよネ。

私は、子供の頃から「源平盛衰記」なんて愛読書でネ、結構記憶しているんですヨ。

重衡なんて好きな武将で詩歌に長けていましたよネ。
一の谷の戦の総大将は平家は宗盛、源氏は蒲の冠者範頼が総大将、源九郎義経が鵯越の逆落としで形勢逆転!
最もワクワクするシーンですネ!

その後、屋島、壇ノ浦、少年時代最も興奮して読んだ部分です。

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