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須磨の町名(3)さ〜そ

桜木町(さくらぎちょう)
須磨寺の若木(わかぎ)の桜による町名。若木の桜とは幹は枯れてしまっても、枝は若木のようである桜のことである。『源氏物語』では、光源氏が植えたと記し、また弁慶は桜のわきに「伐一枝者可剪一指(この木の枝を一本折る者は、指を一本折られるべし)」の高札を立てたという。
場所は離宮公園の西、須磨寺町の東隣にあり、昭和5年7月に旧西須磨村字東北野上、東北野中、東北野下、下樋詰、上町が桜木町となった。

潮見台町(しおみだいちょう)
山陽電鉄須磨駅一の谷との間に広がる丘陵地の町名。ここは神戸でも初期の新興住宅団地として開発されたところで、海の見える台地であることからこの名前がついた。町内には藤田男爵の別邸や知事官舎もかつてあった。景勝地を望む高級住宅地だったのである。昭和5年7月に設置された。
旧字名は西須磨村字八本松西、八本松東、西野、南平、西平、外平、西町、中起、四ツ辻などである。八本松は、むかし西須磨村の西のはずれの街道沿いに立派な松が八本あったところからついた名前である。

清水台(しみずだい)
旧妙法寺村の北部を造成して平成3年にできた町名。妙法寺字清水谷より町名がつけられた。

白川(しらかわ)・白川台・東白川台
明石川の支流伊川の水源の川が白川。約三千年前の古神戸湖岸に堆積した凝灰石を地盤とする一帯は、雨が降ると白濁した川となったのでこの名前がついた。周囲の山は古くから楊桃(やまもも)の産地で、平安時代には京の宮中に献上していたと伝えられる。『藤田文書』には正和四年(1315年)にすでに白河と見え、応永三年(1396年)にも白河畑と見える。
「白川台」は白川峠の西の山一帯を造成した団地である。旧字名は白川村字城ヶ岡、城ヶ谷、堂ノ前、落合山太平ノ口、同鳩ヶ釜、同休間ヶ谷、冷松、朶尾坂、向井坂、千原などである。
「東白川台」は伊川の水源白川と妙法寺川の分水嶺、白川峠の東に造成された住宅地である。昭和58年に設置された。

神撫町(じんぶちょう)
妙法寺川の東岸、高取山のふもとに位置する。神撫は高取山の別名を音読みした町名である。元禄のころの地誌『摂陽群談』に「神撫山 同群板宿村の後にあり。一名鷹取山と号す」とある。
高取山は布引の砂山、長田の天神山と並ぶ神祭りの山であった。これを「神奈備(カムナビ)」と呼んだ。カムが神、ナは連帯助詞、ビは火であろう。神奈備はまた、カムナデとも呼ばれた。デは出、つまり神の来る所という意味である。これが神撫と表記されるようになった。妙法寺の正応二年(1289年)の文書に「神撫」の名が見える。神功皇后が遠征の帰途、この山に登って石に座り岩を撫でたら、たちまち高い山になったことから「神撫」の名が出たという伝説もあるが、後から地名にこじつけたものかと思われる。
旧字名は板宿村字神撫山、土佐、広畑である。大正12年12月に神撫町となった。

菅の台(すがのだい)
旧名谷町字菅ノ谷の小字名からとった。はじめ垂水区名谷町奥畑の一部だったが、須磨ニュータウンの造成によって昭和50年須磨区の新しい町名となった。

須磨浦通(すまうらどおり)
須磨水族園の西から一の谷にかけての、国道二号線および山陽電鉄より南の一帯の町名で、ほぼ東西方向に細長い地域である。神戸唯一の須磨海水浴場、旧和田岬灯台が町内に含まれる。
「すまの浦に焼くしほかまの煙こそ春にしられぬ霞なりけれ」(俊頼『詞華和歌集』)ほかの歌で知られる須磨の浦からとり、海岸沿いの地域に名づけた。
旧字名は西須磨村字新田町、東町、西町、下宿ノ道、下一丁所、西天神下、砂浜、辰浜、下浜田、川端、下谷川などで、昭和5年7月に設置された。

須磨寺町(すまでらちょう)
須磨寺、つまり上野山福祥寺周辺についた町名。明治24年ごろ寺の南に千本の桜が植えられ、須磨寺大池(堂谷池)とともに“新吉野”といわれる桜の名所だった。昭和5年7月、須磨本町や須磨浦通と同時に町が置かれた。旧字名は西須磨村字須磨寺門前、堂ノ谷、大聖山、上野、千森町、上マセ垣、中マセ垣、下マセ垣、中マセ垣、上樋詰、下樋詰であった。マセ垣は藩架(ませがき)のことで、須磨の関の一画を示す垣だといわれる。

須磨本町(すまほんまち)・東須磨・西須磨
東須磨、西須磨はともに江戸期からあった村である。明治22年4月にともに須磨村の大字となった。現在も大字として残っているが、市街地部分は大正9年から昭和6年にかけて町名整理が済み、現在残っているのは山間の地域である。離宮公園神戸女子大学が大字東須磨に、山陽電鉄須磨浦山上遊園など鉢伏山の一帯は大字西須磨に含まれる。
旧西須磨の中心だったあたりは現在は須磨本町になっている。JR須磨駅の東、山陽電鉄国道二号線との間である。旧字名は西須磨村字上宿ノ道、下宿ノ道、仲町、千森町、下マセ垣、上浜田、下浜田で、昭和5年7月に須磨本町となっている。

関守町(せきもりちょう)
関守は関をつかさどる役人のことで、須磨の関にちなむ。大宝令(701年)に規定された摂津ノ関は、奈良以後消えてしまうが、平安末期に源兼昌がその関を懐かしんで作った、「淡路島かよふ千鳥の鳴く声に幾夜寝覚めぬ須磨の関守」という歌で一躍有名になった。町内には関守稲荷神社があり、ここがその旧跡とされる。
旧字名は西須磨村字西野、小神、四ツ辻北などで、昭和5年7月に現町名となった。

禅昌寺町(ぜんしょうじちょう)
高取西麓にある神撫山禅昌寺による町名。禅昌寺はモミジ寺、スズメのお宿でよく知られている。
現町名は昭和4年5月につけられた。旧字名は板宿村字神撫山、広畑、垣ノ内、茶園場、立会山、高取山、西代村字鬼ヶ平。

外浜町(そとはまちょう)
妙法寺川の河口付近の町名。昔は川尻が海に突き出ており、川崎の字名があった。両側は広大な砂浜になっており、美しい白砂青松の海岸をなしていた。
大正13年5月に東須磨村字外浜、川崎、小寺、東畑地、西畑地が現町名となった。

プロフィール

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  • 須貝静
  • NPO法人しゃらく しゃらく旅倶楽部担当
  • 須磨をこよなく愛するよそ者が、真の須磨人(すまびと)を目指して日々綴っていく須磨のウンチク。須磨好きの方必見です。
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