スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

須磨の町名(1)あ〜お

須磨の町名の由来を調べてみました。

参考資料:『須磨の歴史散歩』(改訂版・平成10年発行)制作:須磨区のまちづくり推進課
       『新 神戸の町名』(1996年発行)編集:神戸史学会
       須磨観光協会HP「なるほど!町名百科事典
参考資料の数がちょっと少ないですが、ご勘弁を。
これらから抜粋する形で今回はまず五十音順の「あ」から「お」までを。

青葉町(あおばちょう)
一の谷の合戦熊谷次郎直実に討たれて命を落とした美少年、平敦盛が持っていたという笛「青葉の笛」からとった町名。旧東須磨村字掛田、中田、手崎ノ上、太田、平田、中屋敷、二ノ井、ヘラダ、甘地、世間所、船平、蔵ノ内だったところが、大正十三年五月に上、下手崎町となり、昭和41年6月に両町のそれぞれ一部が青葉町になった。JR鷹取駅の南西に位置する。須磨寺、一の谷ともあまり縁のない場所である。

磯馴町(いそなれちょう)
須磨に吹く強い陸風により、松の枝が東南に向き、美しい枝ぶりを見せていた。それが古来「磯馴松(そなれまつ)」と呼ばれ、「須磨の浦渚にたてる磯馴松しづえは波のうたぬ日ぞなき」(俊頼『続後拾遺和歌集』)など多くの歌にも歌われてきた。在原行平が都に帰ったとき、松の枝が彼を慕って都の方へなびいたという伝説も残っているという。
大正十三年五月、旧東須磨村字荒堀、不毛、松ノ下、替地、仲ノ前、法花、坊敷、山ヶ坪、平松、堂田尻が磯馴町となった。
江戸時代には須磨名物に「磯馴味噌(そなれみそ)」があった。

板宿町(いたやどちょう)
‖膾防椶忘諺される菅原道真のために里人が板囲いの宿を建ててもてなしたことに因む貞応元年(1222年)の長田神社文書に見られる「板井戸」村からきている川上町にあった鳴滝明神が1517年の水害で流された時、ここに仮の板屋をつくったのを「イタヤドリ」と呼んだことによるこ稿擦錣の水呑場「板井戸」による高取山麓のイタドリ原からきた
以上の諸説あるようだが ↓△有力のようである。
旧字名は板宿村字河原、前、辺良町、坂千代、東所、得能、上野山、西所、馬草谷、小屋ヶ谷。大正十二年十二月に板宿町となった。板宿八幡神社を中心とする一帯である。

一の谷町(いちのたにちょう)
鉢伏山南麓は古くは山が海に迫って、出入りの激しい通行困難な荒磯を形成していた。これが大化二年(646年)に畿内の西端として赤石櫛淵(あかしのくしぶち)と定められたと日本書紀にある。おそらくは平安時代末までにはこの入江に砂が堆積して谷となり、岬は尾根となっていた。谷は東から一の谷、二の谷、三の谷と呼ばれ、西須磨村の字名として一の谷東、一の谷中東上、一の谷中、一の谷西、二の谷西、二の谷上、二の谷下、三の谷草刈場、三の谷西平、三の谷があり、これらに堀切、宗兵衛新田を加えて一の谷町となったのが昭和五年7月である。
交通の要地そして難所でもあり、中世には海賊も出没したという。

稲葉町(いなばちょう)
東須磨村の背山にあった字名稲葉山による。須磨にわび住まいした在原行平がここで秋の月を楽しんだことから一名を月見山とも呼ぶ。この時、行平が、「立ち分かれ稲葉の山の峰におふる松としきかば今かへりこん」と歌ったと伝えられている。『古今集』にもあることの歌は小倉百人一首にも選ばれてよく知られているが、実は因幡(いなば)の国で歌ったものである。
町名はこの歌からとっている。大正十三年に命名された。

永楽町(えいらくちょう)
禅昌寺と養老町の間にある小さな町で、山間を切り開いた所である。昭和11年に隣の養老町とともに、縁起のいい名前ということでつけられたと言われている。旧字名は西代村字中ノ庄池下、鬼ヶ平、板宿村土佐などである。鬼ヶ平は勝福寺の追儺縁起にある大鬼が出たというところである。

戎町(えびすちょう)
旧板宿村戎田、下平田、庄の池西、笹の子、績路、黒土、常ノ加市などと西代村字トサキが大正十二年三月にこの町名となった。

大池町(おおいけちょう)
旧東須磨村にあった最大のため池の名、大池にちなむ。大正十二年十二月に設置された。

大田町(おおたちょう)
西国街道のすぐ北側で、大正十二年十二月に旧字名をそのまま町名とし、設置された。

大手町(おおてちょう)
勝福寺とその背山にあった南北朝時代の松岡城の正面に成立した村・大手の名による。赤松範資の築いたこの城に逃げ込んだ足利尊氏がここで観応二年(1351年)に切腹を決意したと『太平記』にある。
明治二十二年、須磨村の大字となり、大正十二年十二月に現町名が生まれた。旧字名は大手村字大手前、大手後、大手東、観音林、寺ノ東、寺ノ西、閑田村、鐘鋳場、北ノ所、中ノ所、西ノ所、東ノ所、子守前、竹ノ花、上庄条、下庄条、三ノ井、板宿村字加古、鶴ヶ池、坂千代などである。

奥山畑町(おくやまはたちょう)
旧東須磨村に字奥山畑、口山畑があり、大正十三年五月に山畑町ができたのに続いて、昭和五年五月に奥山畑町が生まれた。山畑町はその後若木町に吸収され、山畑の名はここだけが残している。ちょうど高尾台団地の南に位置する。

落合(おちあい)・北落合・南落合・東落合・西落合・中落合
落合団地の開発によって、昭和52年に新しい町名がつけられた。町名はもと名谷町奥畑字落合、車字落合山、妙法寺字落合山と字落合中の小字および区域にある「落合山」からとった。落合は川や谷の合流点で、ここでは妙法寺の一水源の谷と、垂水を流れる福田川の谷、つまり名谷の落ち合うところという意味である。東落合はもとは車、妙法寺、白川の一部だった。西落合はもとは名谷、南落合はもとは妙法寺、多井畑、北落合はもとは白川、名谷の一部であった。

プロフィール

  • 須貝静顔写真
  • 須貝静
  • NPO法人しゃらく しゃらく旅倶楽部担当
  • 須磨をこよなく愛するよそ者が、真の須磨人(すまびと)を目指して日々綴っていく須磨のウンチク。須磨好きの方必見です。
  • プロフィールをもっと詳しく

新着日記

カレンダー

<< September 2017 >>
SunMonTueWedThuFriSat
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930

サイト内検索

月別アーカイブ

カテゴリー

新着コメント

新着トラックバック

organization

  • NPO法人しゃらく
  • いきがい.cc
  • 須磨観光協会
  • 須磨を西海岸化し隊
  • 観光ナビゲーションサイト 須磨海岸Navi
  • いたやにすと
  • オール須磨

link

mobile

  • qrcode

others

ad