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須磨の町名(7)ま〜も

前池町(まえいけちょう)
大正12年12月につけられた、板宿村西部の溜池の名にちなむ町名。前池は、明治16年の地誌によると、東西九十七間(約176メートル)、南北四十七間(約85メートル)の溜池だったという。

松風町(まつかぜちょう)
在原行平ゆかりの町名である。行平が愛した姉妹の姉の方の名が松風であったのにちなむ。大正12年につけられた町名。

水野町(みずのちょう)
東須磨村北方の高尾山麓の字名により、昭和5年5月に設置された。天井川上流にあった水の豊かな斜地の意味。

緑ヶ丘(みどりがおか)
昭和53年、妙法寺の北端の丘陵と車の一部を造成して誕生した住宅地。町名は佳名をとった。

緑台(みどりだい)
西落合、垂水区名谷町の一部を開発した。全域が神戸総合運動公園である。
昭和60年に総合運動公園の緑にちなんで町名がつけられた。

南町(みなみまち)
西国街道の南側である。昭和5年5月、北側の東須磨北町とともに東須磨南町が設置され、昭和40年6月に南町と改称した際、もとの東須磨北町の一部が南町に移った。
旧字名は中ノ町、弓場町、才ノ池、椎ノ橋、射ノ下、井ノ上、天神目であった。

行幸町(みゆきちょう)
武庫離宮への天皇の行幸の道筋にあたるところからつけられた。町の西端のバス道が離宮道とよばれており、これを通ったのであろう。
旧字名は西須磨村字上池下、中池下、下池下、上一丁所、中一丁所、下一丁所などで、離宮前町等と同じく昭和5年に設置された。

明神町(みょうじんちょう)
このあたりにもと、天日霊女命を祀る鳴滝(なるたき)明神があった。同社は永正14年(1517年)の洪水で證誠神社の地に流されたことがあると伝えられる古社だが、明治40年に板宿八幡に合祀されて、町名だけにその名が残った。
旧字名は板宿村字奈義、土佐、真奈ヶ原、仏ヶ谷、胴長平、野獄など。明神町となったのは大正12年である。

妙法寺(みょうほうじ)
如意山妙法寺から取った名である。山あいに寺を中心とした小さい村が生まれた。江戸期には奥妙法寺村と口妙法寺村に分かれていたが、明治5年に合併して妙法寺村となった。明治22年には須磨村の大字となった。
現在も残る字名には毘沙門山、円満林(円満坊からの地名)、岩山(岩山坊)、堂の下、筆前、桜界地、界地、大門、地子田など寺にちなむ名が広い範囲にちらばっている。

村雨町(むらさめちょう)
在原行平が愛した姉妹の妹の名が村雨であったことにちなんでいる。

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  • 須貝静
  • NPO法人しゃらく しゃらく旅倶楽部担当
  • 須磨をこよなく愛するよそ者が、真の須磨人(すまびと)を目指して日々綴っていく須磨のウンチク。須磨好きの方必見です。
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