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須磨名物・おみやげ(7)敦盛そば

JUGEMテーマ:地域/ローカル


●敦盛そば
住所:神戸市須磨区一の谷町5-4-18
電話:078-733-1871
OPEN:11:00〜16:00
定休日:火曜日

敦盛塚の目の前にあるお蕎麦屋さん、その名も敦盛そば。知る人ぞ知る名店です。
というのもこの敦盛そばは、江戸時代から文学の中にもその名前が登場するほど全国的に有名で、参勤交代の大名もよく立ち寄ったんだそうです。


敦盛そば(500円)と敦盛ごはん(200円)。かけそばと古代七色米を使ったご飯です。

「敦盛」と「厚盛り」がかかっているんだとか。ちなみに出てきた蕎麦はパーフェクトな「普通盛り」でした。

そしてこのお店の面白いところがもう一つ。実は店内には、須磨や源平合戦の資料がたくさん置いてあるコーナーがあるんです。


そこはさながらミニ資料室といった様子。中には貴重な資料も置いてあり、須磨の歴史マニアはヨダレ垂れ流しに注意が必要なほどです。


敦盛塚に行ったらぜひ立ち寄ってみてください。

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須磨の公園・レジャースポット(2)須磨浦公園

須磨の史跡・観光スポット(7)須磨浦公園

【所在地】 神戸市須磨区一ノ谷町4丁目1-24
【アクセス】山陽電鉄須磨浦公園駅」下車
【問い合わせ】078-731-4283
【入園料】無料
【面積】103.8ヘクタール

須磨浦公園は、もと御料林で、1924年(大正13年)に鉄拐山、鉢伏山を含む24万1000坪(約80万平方メートル)の土地の払い下げを受けた。この地を当時の神戸市連合青年団の協力をえて林道2kmを完成、1928年(昭和3年)に山林公園が完成した。

1934年(昭和9年)に山麓の海浜松原2万4000坪(約8万平方メートル)の払い下げを受け、設備を整備、1935年昭和10年(昭和10年)に須磨浦公園として開園した。

1941年(昭和16年)、山陽電鉄が公園内を走り、戦時中には防空上の要地とされた。

1953年から58年にかけて、須磨連山ハイキングコース、鉄拐山山道の改修、中央登山道の舗装工事、ハイキングコースの整備、観光ハウス、児童遊園地ができた。さらに山陽電鉄はロープウェーをつけ、展望台を設け、のちには旗振山へのリフトやカーレーターなどが設けられた。

源氏物語「須磨の帖」の舞台であり、源平一の谷合戦のゆかりの地でもある須磨浦公園の園内には
敦盛塚のほか、与謝蕪村松尾芭蕉正岡子規高浜虚子などの句碑も設置されている。
また桜の名所としても有名で、昭和初期から植えられたソメイヨシノヤマザクラなど数種類の桜がおよそ3,200本を数える。


歴史に縁のある地というだけでなく、今は花の名所にもなっているんですね。ちなみにこの公園は神戸市の花の名所50選に選ばれているだけでなく、日本の名松100選にも選ばれているんだそうです。そんな花いっぱいで自然豊かな須磨浦公園。ぜひ一度訪れてみてください。


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須磨の史跡・文化遺産(2)敦盛塚

●敦盛塚

【所在地】神戸市須磨区一ノ谷町5丁目須磨浦公園
【アクセス】山陽電車「須磨浦公園」駅下車徒歩5分

須磨浦公園附近は、1184年(寿永3年)2月7日に「源平一の谷の合戦」の舞台になった場所の一つです。この一の谷での熊谷次郎直実平敦盛との出会いはあまりにも有名ですが、おさらい程度にもう一度。



一の谷の合戦が終わろうとする中、源氏の武将は何とか功名を立てようと、死に物狂いで名だたる平家の武将を探していた。熊谷次郎直実もその中におり、平家の名のある武将を探していた。

一方、平家の武将たちはこの頃、岸から少し沖にはなれた船へと皆で向かっていた。平敦盛も馬を海に入れ、沖の船を目指していた。

その時、背後から呼び止めるものがいた。熊谷直実である。熊谷は「敵に後ろを見せて逃げるのは卑怯、戻れ」と敦盛に言った。その言葉を聞いた敦盛は馬首を返し、熊谷との一騎打ちに応じた。

しかし若干16歳の敦盛は熊谷にあっという間にねじ伏せられた。熊谷は首を切ろうとして、兜をあげてみるとその顔は自分の息子と同じくらい。

敦盛は名を名乗らず「唯首をとれ、自分は名のある公達だ、首をとって手柄にせよ」の一点張りだった。敦盛の気品のある立ち振る舞いに、この少年は名のある若殿かと思いを巡らせた。

そして熊谷は一人を逃しても戦局には関係あるまい、子のある自分にはこの公達の父の悲しさもわかるからと、逃がそうとした。まさにその時、土肥・梶原の軍勢が来てしまった。

もはやこれまでと思った熊谷は自分が今討ち取ったほうが弔いもできるし、他の者の手にかかるのならと泣く泣くその公達の首をとった。

その後、熊谷が首を包もうとしたとき、一本の笛を見つけた。合戦の前日にも心にしみいる横笛の音色が響いていたことを思い出し、昨夜の笛の音はこの少年であったかと感心する。熊谷が本陣に戻ってこの首を見せると、居合わせた人々はこれが平敦盛であると涙ぐんだ。熊谷は敦盛を弔うために、後に法然上人の下で出家した。


いやあ、何度読んでもじ〜んときてしまうお話です。
このお話が平家物語によって広く知られる事となり、後に参勤交代で訪れた多くの大名たちが敦盛塚に香花を手向けたと言われています。

敦盛塚は高さ約3.5メートルもある大きな五輪の石塔。敦盛を供養するために建てられた、という伝承から「敦盛塚」と呼ばれていますが、北条貞時(1272−1311)が平家一門を供養するために1286年(弘安9年)に建立し、「あつめ塚」と言われていたのが「あつもり塚」と呼ばれるようになったとの説もあるそうです。

いずれにせよ、この石塔の前が古来の山陽道、近世の西国街道だったため、多くの旅人や往来する人々がこの場所を訪れ、香花をささげてきたそうです。大正時代には、子どもの病気の神様としてお参りに訪れる人が絶えず、お礼参りには青葉の笛になぞらえて、穴をあけた竹に白紙を巻き、水引をかけたものを奉納したと伝えられています。

心を打つ敦盛と直実のエピソードをかみしめながら、敦盛塚を訪ねてみませんか。

プロフィール

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  • 須貝静
  • NPO法人しゃらく しゃらく旅倶楽部担当
  • 須磨をこよなく愛するよそ者が、真の須磨人(すまびと)を目指して日々綴っていく須磨のウンチク。須磨好きの方必見です。
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